『ディオールと私』
巨大メゾンの裏舞台
CINEMA
夜中になるとメゾンに亡霊は現れる。クチュリエ(お針子)の仕事を一つ一つ手にして、それを眺めているのだ。靴音が誰もいないメゾンに響く。
ディオールという巨大なメゾンはさながら生き物のように、ファッションの歴史を歩んできた。
それは、クリスチャン・ディオールという稀有な天才が、彼の才能と情熱を余すことなく注いで作り上げた、血の通ったブランドだったからだ。
ディオール氏が亡くなって50年以上経っても、メゾンでは彼の意思が受け継がれている。
その証拠に、夜中に部屋を歩き回るディオール氏の亡霊の噂をする時、クチュリエらは愛情と尊敬をもって話をしているように感じた。
2012年、空になっていたアーティスティック・ディレクターの席に、ラフ・シモンズが就任する。
ディオールにとって、これは大きな挑戦だった。
何しろ、ラフにはオートクチュールの経験もなく、ミニマリストとして知られていたためだ。
通常半年を要するパリ・コレクションの制作期間、これをラフはわずか8週間の間にやってのけなくてはならなかった。
その怒涛の8週間を追った、ドキュメンタリー映画が『ディオールと私 』である。
華やかで美しい一着の洋服を生み出すために、頭の代わった巨大なクリスチャン・ディオールという名の生き物の心臓部(メゾン)で壮絶な戦いが、繰り広げられる。
そこでは、プロフェッショナルなクチュリエたちが、メゾンの一員であることのプライドと情熱を持って仕事をやり遂げる。
すべての人々が一つの目標、つまりクリスチャン・ディオールというメゾンの生み出す芸術に向き合っている。
プレッシャーの中でもがくように8ヶ月を過ごしたラフ・シモンズ。彼は五感を刺激し、常に信念を持ち続け、そのビジョンを形にしていく。
スターリング・ルビーの絵画をコレクションに取り入れる為、技術的にも時間的にも難しい条件の中、そのアイデアに固執し続け、スタッフを困らせた。
しかし彼のそのエゴイスティックなまでの執着心は、ラフ・シモンズらしさを体現したオートクチュール作品として現れる。
そして、ラフの無理難題を実現させようと必死に尽くすスタッフもディオールのオートクチュールを体現する上で欠くことのできない存在なのだ。
ラフにとって、就任後初のオートクチュールがどれほどの重圧だったのかは想像を絶する。
ショーが始まる前の、不安と緊張でいまにも倒れそうな彼の姿を見ているだけでも、私にとっては、逃げ出したいほどの苦しさを感じた。
映画のラストでは、ラフが観客の前に姿を見せるために、階段を駆け上がっていくシーンがある。
ディレクターの制止も聞かず、急いだ気持ちを抑えきれない子供のようなラフに、私は彼の心情を思い、泣き笑いのような顔になっていたに違いない。
この映画について、フレデリック・チェン監督はこう述べている。
「ラフ・シモンズはヒッチコック作品の『レベッカ』に登場するミセス・ド・ウィンターと同じ気持ちではないかと。
屋敷の前の主人の亡霊におびえる主人公だ。ラフ・シモンズのストーリーは束縛からの解放である」
屋敷の前の主人とは、おそらく前アーティスティック・ディレクターのジョン・ガリアーノではなく、クリスチャン・ディオール氏のことだろう。
彼の亡霊を、メゾンの中でラフは見たのかもしれない。あるいは自分自身の中に。