葉月の植物図鑑
「太陽に恋した向日葵」

BOTANICAL

天野葉月

2015年8月8日は暦の上では「立秋」ですが、日本列島は猛暑の日が続いています。
夏が大好きだった私も、さすがにこの暑さには耐えられなくて、できることなら日が沈むまでクーラーの効いた室内に籠もっていたいと切に思います。 そんな中、真夏の太陽の陽射しをいっぱいに受けて元気に咲く花があります。


夏のイメージでいちばんに思い浮かべる花──そう、向日葵(ヒマワリ)です。

太陽神アポロンはゼウスの神の息子で、双子の妹に月の神アルテミスがいます。類まれなる美貌と、均整のとれた肉体を持つアポロンは女性の憧れでした。 そんなアポロンに恋い焦がれた水の精クリュティエ。彼女にできることは、ただアポロンの姿を見つめることだけでした。
黄金の馬車に乗ったアポロンが東の空から出て、太陽の道を駆け巡り、西の地に沈むまで同じ場所に佇んで見つめ続けます。 口にしたのは、朝露と自分の涙だけ、そして9日9夜が過ぎ、ついにその場で倒れてしまい一輪の花になってしまいます。

このギリシャ神話で、太陽神アポロンに恋したクリュティエがメタモルフォシスした花が向日葵でした。
学名はギリシャ語で「Helianthus annuus=太陽の花」、和名の「向日葵(日回り)」は太陽の方向に回るということに由来しています。 しかし、実際に太陽の方向に向かうのは花が咲くまでで、開花後は東を向いたままで止まってしまい、また品種によっては例外もあります。

もう一つ、この花を見て思い出すのは1970年に日本で公開された、イタリアの監督ヴィットリオ・デ・シーカの反戦映画『ひまわり(I Girasoli)』です。

第二次世界大戦のイタリアで、ソ連(現ロシア)戦線へ出征したまま行方不明になった夫アントニオ。 夫の母の面倒をみながら何年も待ち続ける妻ジョバンナは、アントニオの消息を求めて関係局へ日参するも、確かな手がかりを得ることができません。 そんなある日、同じ部隊だった男から夫が極寒の雪原で倒れたと聞き、ロシアへ旅立ちます。

言葉も通じない異国で、夫の写真を見せながら消息を訪ねて歩くジョバンナ。ある日写真の男を知っているという人物に会いその家を訪ねますが、そこには残酷な現実が待っていました。 かつての戦場だった場所には広大な向日葵畑。その近くの村で暮らす美しいロシア人女性と子供。探し求めた夫は雪原で凍死するところを彼女に助けられ、結婚していたのです。

戦争がもたらした悲劇を描いたこの映画は、グレン・ミラー楽団のピアニスト兼アレンジャーで、 『ティファニーで朝食を』『シャレード』などの映画の音楽監督でも有名なヘンリー・マンシーニの音楽の素晴らしさもあり、世界中の人が涙した名作です。

映画ではオープニングとエンディングに、広大な向日葵の花畑が映しだされます。 それは戦争の悲惨さとそれを主導するものへの怒り、その理不尽な運命の中で、希望を捨てずに明日に向かって生きていく人々への象徴としての花なのだと感じました。

葉月の植物図鑑
「悲劇のローズマリー」

BOTANICAL

天野葉月

「愛しい人よ、これがローズマリー、思い出の花。お願い、いつまでも私を忘れないで」

これは、シェイクスピアの四大悲劇『ハムレット(Hamlet)』の第四幕第五場。
狂気のオフィーリアが腕にいっぱいの花を抱えて、宮廷の大広間にいた自分の兄を恋人ハムレットと思い、ローズマリーを手わたして言う台詞です。

物語は、ルネッサンス期(1600年頃)のデンマーク。
王子ハムレットは、父を殺し母を奪って王位についた叔父に復讐をするため狂気を装います。
そして目的のため、恋人オフェーリアにさえ自分の気持ちを偽り「尼寺に行け」(この頃の尼寺は娼館でもあるとの記述がある)と残酷な言葉を浴びせるのです。 悲劇は続きます。ハムレットはオフィーリアの父で王の重臣であったポローニアスを、叔父と間違え刺し殺してしまうのです。
オフィーリアはついに正気を失い、間もなく川で溺れ死んでしまいます。誤って落ちたのか、自殺だったのか、その様子は王妃ガートルードの言葉によって語られます。

オフィーリアの物語は絵画のモチーフにつかわれることが多く、たくさんの画家が彼女の美しい姿をキャンバスに残しました。 そのなかでも代表作といわれるのが、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais, 1829−1896))です。 この絵はミレイの代表作というだけではなく、「ラファエル前派」を代表する作品でもあり、写実的で緻密な自然描写が秀逸です。

絵の中には、異なる季節の花が混在してます。そしてそれぞれの花には意味が込められているのです。
柳(見すてられた愛)、 野バラ(喜びと苦悩)、ミソハギ(純真な愛情)、スミレ(誠実、純潔、貞節)、 ケシ(死)、パンジー(叶わぬ愛)、 ナデシコ(悲しみ)、ヒナギク(無邪気)、バラ(愛)、忘れな草(私を忘れないで)、キンポウゲ(子供らしさ)=探してみてください。

狂気のオフィーリアが、ハムレットだと思って渡した「ローズマリー」。
和名はマンネンロウ。 花言葉は「思い出」「記憶」「貞節」「誠実」「変わらぬ愛」と記憶に由来するものが多く、 その成分である、シネオール、カンファー、ベルベノンは頭脳を明晰にし、集中力、記憶力を高めるといわれ、そのことから、アロマテラピーでは「記憶のハーブ」とも呼ばれています。
そして最近では、精油の成分が「認知症」に効果があるとして、医療の現場でも注目されることになりました。

ローズマリーのハーブとしての歴史は古く、14世紀イタリアの修道院でつくられたローズマリーのエキスを抽出した 「ハンガリー水」が老齢のため健康を害していたハンガリー王妃エリザベートに献上されます。
そしてこの「ハンガリー水」の効果は、健康な身体と、50歳も年下である隣国ポーランドの王子からのプロポーズされたというエピソードから「若返りの水」の別名を持つことになります。

オフィーリアの悲劇とエリザベートの幸運。
狂気になることで、ハムレットへの変わらぬ愛を貫いたオフィーリアと現実の世界に生きて幸せになったエリザベート。 一つの花にも数々の物語があります。 道端や公園、花壇にある植物をみたとき、その花にまつわるエピソードを思い出すことで、ますます植物との距離が近くなっていくことでしょう。

葉月の植物図鑑
ヴィアンとモネの『睡蓮』

BOTANICAL

天野葉月

梅雨の長雨がつづく季節。この雨が降ることで美しく花を咲かせる植物があります。
「睡蓮」です。この名前があらわすようにこの花は、朝に開花し夕方に閉じる(睡る)からだといわれています。 古代エジプトではナイル河の睡蓮を神の象徴とし、神聖な花として神々を飾るための装飾品や建築のレリーフとして描かれています。

また、睡蓮の花からは穏やかな鎮静作用のある香料が抽出でき、香水や香油として儀式などにも利用されていました。 今回は「睡蓮」に因んだ話を2つ紹介したいと思います。

舞台は1947年、ヴィアンが創造した虚構のパリ。 デューク・エリントン編曲の『クロエ』が好きな青年コランは、パーティで会った同じ名前の少女「クロエ」に恋をして結婚します。 しかし、クロエは “肺に睡蓮が寄生する” という不治の病にかかってしまい、愛する妻のためコランは、睡蓮の花が大きくならないよう、いっぱいの花で部屋を飾るという威嚇治療法を試みます。

レイモン・クノーが「現代における最も悲痛な恋愛小説」といった、ボリス・ヴィアンの小説『日々の泡(L'Ecume des Jours)』のストーリーです(※)。

曲によって様々なカクテルを調合するピアノや蛇口からウナギのでる洗面台。コランを理解する人間のようなハツカネズミ。クロエとコランの最初のデートでは、シナモン・シュガーの味のするバラ色の雲が降りてきて二人を包む。などなど。 物語はシュールでファンタスティックです。しかし、終わりに近づくにつれて残酷になっていきます。

この物語の大きなインパクトになっているのは、何といっても「睡蓮」です。 この美しく清らかな花が、正反対の禍々しさを表すものと描かれることで、物語はいっそう悲惨さを増しているのです。

そして、もうひとつ、この花で思い浮かぶのは、印象派を代表するフランスの画家クロード・モネの『睡蓮』の連作です。モネは42歳の1883年に、フランスの田舎ジヴェルニーに移り住みます。そして庭園づくりが始まるのです。エプト川の水を引き込んで睡蓮や柳などを植え、日本風の橋をかけ細部にまでこだわった、モネにとっての理想の庭園こそが作品の源泉ともいえます。

睡蓮の庭をこよなく愛したモネは、1899年から亡くなるまでの27年間に200点以上もの睡蓮の絵の制作したのですが、晩年は白内障で失明寸前だったのですが、睡蓮の代表作ともいわれるパリのオランジュリー美術館の2部屋を占める大壁画を描くために手術を受けます。 しかし、モネ自身はその作品に満足はしていなかったと言われています。

モネの「睡蓮」は世界中に運ばれ、それぞれの国で観た人の心を捉えたことでしょう。そして、絵画を通して見えたものは、モネが生涯を捧げたジヴェルニーの「睡蓮の庭」なのだと思います。
※レイモン・クノー:フランスの詩人・小説家。『地下鉄のザジ』や『文体練習』などの実験的な作風で知られる。
『日々の泡』は、『うたかたの日々』という別名でも出版されている。
ミシェル・ゴンドリー監督の映画『ムード・インディゴ うたかたの日々』が2013年に公開された。

葉月の植物図鑑
自然の風景

BOTANICAL

天野葉月

「アフター・デイズ」という映画があります。
地球から人類が消滅した後の世界をえがいた物語です。
地球に人類のいなくなった世界では、数時間後に電力が止まります。動物たちの生き残ったものは野生化し、植物は荒廃したビルのコンクリートに根をはり、増殖していきます。 原子力発電所が爆発し、大洪水がおこり、文明の痕跡がつぎつぎと消えていきます。

そして地球を覆う森は氷河期になるまで残っていく、というストーリですが、これが仮想であるにしても、植物の生命力は驚くべきパワーを持っていると思います。 事実、広島の原子爆弾投下の後、100年は草木も生えないだろうといわれていたのですが、植物は何日もたたないうちに芽を出したそうです。

植物の力は太古の昔から認められ、伝承されてきました。西洋ではハーブとして、東洋では漢方や民間薬として常に私たちの身近にあり、その恩恵を自然から受け取ってきました。
都会で生活する私たちの環境はストレス社会といわれ、多くの人たちがそのストレスを緩和させるための方法を実践していますが、その中でも、自然にふれることは大きなリラックスを与えてくれます。

1990年代後半にイリノイ大学:景観・健康研究所所長のFrances Kuo氏がシカゴのサウスサイドにある大規模な公営住宅団地『Robert Taylor Homes』の女性住人たちにインタビュー調査を行ないました。
一連の数学テストで被験者にストレスを与え、その後、樹木が生えた芝生が見える窓辺で過ごすグループとその風景を大型プラズマテレビに写して見せたグループ、殺風景な壁の前で過ごすグループに分けます。
実験の結果どのグループがいちばんストレス低下したか、もちろん始めの自然の風景です。 しかし、ここで驚くのはテレビに写された自然と壁の差がほとんどなかったことです。
窓辺の自然とテレビの自然──見ることとしての違いはないようなこの二つのことを人はどのような差をもって感じているのか興味深く思います。

もう一人紹介したいのが、日本を代表するプラントハンター(※)西畠清順さんです。
西畠清順さんの実家は、幕末から140年以上も続く植物の卸屋「花宇」 それが今の職業を選択したルーツになっているそうです。 年に12〜15カ国をまわり、現地でなければ手に入らない植物を入手し、日本に輸入しています。 園芸用の大型植物の90%は西畠さんの会社で扱ったものです。

西畠さんが日本に持ってきた植物は都会を緑で覆い、また無機質な建築内部の空間に生命を創出して、私たちの心を和らげてくれます。

西畠清順の展覧会がポーラ・ミュージアムで開催されます。

「ウルトラ植物博覧会」西畠清順と愉快な植物たち
http://www.po-holdings.co.jp/m-annex/exhibition/

そら植物園
http://from-sora.com/

”おれは植物が好きで、植物をはさんだ会話というのは、人種も年齢も、性別も国境を超えると言い続けているけど、やっぱりそうだと思う。”

この言葉のように、植物はすべての境を超えて人の絆になっていくものなのでしょう。

※プラントハンター( Plant hunter)とは、主に17~20世紀中期にかけてヨーロッパで活躍した職業で、食料・香料・薬・繊維等に利用される有用植物や、観賞用植物の新種を求め世界中を探検・冒険する人のことで、現在でも存在する。

written by 天野葉月(HOLISTIC GARDEN)
http://www.ratna-devi.com/garden/

蔓蔦蔓蔦 穏やかに過ごす季節
ヘルダーリンと共に

BOTANICAL

mina

都会の真ん中にも空き家はある。
空き家は、長い間人を寄せ付けずに育てた蔦や蔓を風になびかせ、存在をしめす。
欝蒼としたその佇まいをみると、一生懸命生きて行くことを笑われているような気がする。
「一生懸命じゃなくていいのにね。ふふふ」
そうか、一生懸命じゃなくていいのか、と陽だまりの緑たちに頷く。

暑くなってきたので、たまにはのんびりしないとね。

Friedrich Hölderlin
Wie wenn am Feiertage …

Wie wenn am Feiertage, das Feld zu sehn,
Ein Landmann geht,des Morgens,wenn
Aus heißer Nacht die kühlenden Blitze fielen
Die ganze Zeit und fern noch tönet der Donner,
In sein Gestade wieder tritt der Strom,
Und frisch der Boden grünt
Und von des Himmels erfreuendem Regen
Der Weinstock trauft und glänzend
In stiller Sonne stehn die Bäume des Haines:

So stehn sie unter günstiger Witterung,
Sie,die kein Meister allein,die wunderbar
Allgegenwärtig erzieht in leichtem Umfangen
Die mächtige,die göttlichschöne Natur.

あたかも祭りの日の明けゆく時
畑を見ようと 農夫が戸外へおもむく
夜通し吹き荒れた嵐により
絶えず清涼の稲妻が降り注ぎ
その轟きが今なお かなたで鳴っている
河流はふたたび川筋へと戻りゆき
大地は翠鮮やかになり
天から喜ばしく贈られた雨に
葡萄樹は雫を滴らせ
おだやかに照り輝く陽光の中
森の木々は 輝くばかりのたたずまいをみせている
あたかもそのように万物はいま恵みの空のもとに立っている
いかなる巨匠の手もそれらを育てることはできない
霊妙に遍在し、
やわらかに抱いて万物を育てるのは
力強くも神々しい自然だ。

フェロカクタス 幻の花

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mina

小さな爪が星のようにポツポツと。
テラリウムに寄せ植えしたフェロカクタス(日の出丸)は非常に可愛い。
爪をもつサボテンの中で私が一番好きな子である。
丸っこいフォルムと、爪を内側に潜ませるような健気さ?がなんとも言えず愛くるしいのだ。すこし爪が伸びてくると、ほんのり赤みを帯びてそれがまた良い。

彼(彼女?)はなかなか花を見せてくれない。
開花球に育てることは非常に難しく、ほとんど幻の花といってもいいそうだ。
花は咲かずとも、私のテラリウムに彼(彼女)が座り、空を見上げていればそれで良い。


テラリウムの販売はこちら: https://minne.com/items/1258156